危機の時代の学び
法学研究科委員長
川瀬剛志

慶応4年(1868年)5月15日、その日は早暁から上野寛永寺で官軍と彰義隊の戦闘(上野戦争)が続いていました。当時芝新銭座に移設したばかりの慶應義塾(私の母校です)では、その日も福澤諭吉がウェーランド経済書の講義を粛々と続けました。本郷台の加賀藩邸から響くアームストロング砲の砲声に浮き足立つ塾生を前に、福澤翁が「慶應義塾は一日も休業したことはない」(『福翁自伝』)と喝破した話は、あまりに有名です。
さて、私は国際法の一分野を専門にしています。この数年、私が研究対象とする国際社会は連日激動しています。この3年、国連安全保障理事会の常任理事国であるロシアが隣国ウクライナに武力侵攻し、人道上許されざる戦争犯罪行為に手を染め、そして今やウクライナの領土の2割とも言われる部分を成功裡に略取しようとしています。また、第2次トランプ政権はおよそ正当化事由や経済合理性に乏しい関税引き上げを次々と行い、無差別で自由な多国間貿易体制も崩壊の危機を迎えています。米国はまた、イスラエル首相のガザ侵攻における戦争犯罪を追及する国際刑事裁判所に、こともあろうか制裁まで課しています。私たちは、国連憲章やジュネーブ条約、そしてGATT・WTO協定といった20世紀に生まれた国際法が保証するはずの「当たり前」が、本来これらの法的枠組みの担い手であるはずの大国の横暴によっていとも簡単に崩壊する様を、リアルタイムで目の当たりにしています。
こうした状況を見るにつけ、私も法をもって国際社会を語る法学者としての仕事に虚しさを覚えることがありました。しかし最近、尊敬すべき先輩の助言で、正しい視座をもって社会の変動を定点観測し、法が実現すべきあるべき社会と現実の「ずれ」を明らかにし、問題提起を行うことがこの時代の自身の使命だと、ようやく得心できるようになりました。思うに、福澤翁が言わんとしたことも同じことであったように思います。つまり、激動する社会に動揺せず、己の足場となり、物差しとなる学識によって眼前の時勢の変化を適正に読み解く力を養うことの重要性だったのではないでしょうか。今、20世紀から続く国際システムの根本的な動揺に接し、私たち研究者は幕末の慶應義塾と同じ姿勢でこの変化する時代に臨まなくてはならないのだと思います。
大学院進学の目的は、今や研究者養成のみならず、資格試験受験や社会人として専門的知見を得るためなど、多様化しています。しかし入学の目的が何であれ、社会を見るための足場なり、物差しとなる深い見識を養い、問題解決に当たる力を身につけた人材を輩出すること、それが法律学のみならず、本研究科のもうひとつの柱となる政治学といった社会科学系大学院の使命だと心得ます。この困難と混迷の時代だからこそ、法学研究科はそのような場でありたい、そう願わずにはいられません。
2025年4月